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○こちよ「最近あの人自分のこと「ぱんださん」って言われることに罪悪感があるらしいわよ」●ちよ「もうそんなに若くないんだからそういうかわいい呼ばれ方は微妙よね」


by panda-panda78

原点確認(僕が何度も確認してほしい。)

非常に忘れた頃にとなるのですが前回の11月帰国時に九十九里の僕の陶芸の先生のところに寄ってきました。
左側のメモ欄の「19歳の時に騙されてどうのこうの」の先生ですわ。

もともとは僕の大学の同級生のご両親。父版画家、母陶芸家、娘(が僕の同級生)旅人、息子彫刻専攻という一家。「先生」と書いているけれども「先生」と呼んだことなど一度もなく(笑)おとーさんは市場で働きながら、お母さんもちょこちょこパートしながら作ってらっしゃいました。
以前は長野県松本市に住んでらっしゃったのだけれども、それももともとはおとーさんが松本にあった木工の訓練校で勉強してそのまま居ついちゃった、娘も生まれたし、という経緯があるのね。

今はもう娘、息子も東京に行っちゃったし何より松本冬寒いということで(大根が外においておくと凍るそうな)温かいとこ目指してと九十九里に引っ越されたのが2年くらい前かな。。

ぱんださん前回で2回目の九十九里訪問でしたが、息子はまだ一度も来ていないらしく(笑)(ちなみに娘(同級生)とは5,6年会ってませんわ)初めて薪割り&窯焚きに参加させてもらってから10年息子のように歓迎していただきました。

「ワタシも訓練校行きたいわー。ワタシも訓練校行きたいわー。」
とおかーさん仰ってましたし(笑)

「ぱんだくん写真とってくんねーかな」
と版画の写真をどこかお客さんに持っていくとかで、マニュアルカメラを渡されて作品を外に出して撮ったり。マニュアルカメラは僕使ったことないんすけどね。

ぱんださん当時から痛い子だったので窯焼成のお手伝いの時は松本まで
「原付」
で駆けつけて。中仙道を途中写真撮りながら、窯焼成の時も写真撮りながら。

おとーさんは直接は言わないのだけれども
「ぱんだくん写真なかなかいいなぁ」
とお母さん経由でほめてくれたり。。

短い時間でしたが原点を確認。嬉しいことです。

引っ越してきて2年になるのだそうですが、お二方非常勤講師のようなこともしながら、年齢が年齢ということもあるしなかなか窯の構想はあるのだけれども作るのは難しいのよねーとのこと。

ああ、やっとこさぱんださん恩返しの時が来たようです。
「わたしが積みます」
中国で窯を作ったのはあくまで九十九里窯の練習にすぎません(うそです)
松本の時には鬼灯(ほおずき)窯という名前でしたが、表に裏に協力させていただきたいとこであります。

9位とありがとう。正直最近11位が続いていたので「もうトップ10は無理なのか?」と思っていましたがありがとう。
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by panda-panda78 | 2008-02-11 23:00 | きみに読んで欲しい。