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○こちよ「最近あの人自分のこと「ぱんださん」って言われることに罪悪感があるらしいわよ」●ちよ「もうそんなに若くないんだからそういうかわいい呼ばれ方は微妙よね」


by panda-panda78

さらば東京よ②

なぜインドへと旅立ったのかというと遠藤周作というおじさんを卒業論文のテーマに選んだから。周作さんは旧満州の生まれで幼い頃に両親が離婚、バイオリニストの母に育てられるがその母に連れて行かれた教会で無意識のうちに洗礼を受けることとなる。あいも変わらずうすらぼんやりと放蕩息子としてくらしていた彼、ある日友人の家でヌード写真を見ていた時にどうしか家から電話。『母が死んだ』と。そのとき脳裏に掠めたのはどうしてかそのヌード写真だったと後述しているけれども、大事な時目の前のことに集中しないといけなかったりする時に限ってどうして俺はこんなこと考えているのだろうってそういう経験僕にもある。どうしてだろう。
母から残されたものは唯一キリスト教、けれどもどうしても父なる威厳にあふれたキリスト教は自分にはどうしてもどうしても合わずその時やはり心に浮かんだのは母、日本古来からある神道では裁きということはないけれどもそれに代表されるように母のように海のように包んでくれる日本人に合うようにとまるで『洋服を和服に仕立て上げるように』自分に日本人に合うキリスト教を求め続けた人。僕もミッション系の幼稚園に通っていてそのまま小学校5年生までプロテスタントホーリネス派の教会に通っていた(当時はそんなこと全然分からなかったけれども)その後引っ越してそのままあやふやになってしまっていたけれども自分の中でも
一度考えなおすいい機会だと周作さんの遺作『深い河』の舞台インドへと旅立ったのである。『深い河』で行き着いたのは(『深い河』自体もこの箇所に集約されると思うけれが)
全く信仰をもっていない美津子がガンジス川に入りながら言った言葉
『信じられるのは、それぞれの人が、それぞれの辛さを背負って、深い河で祈っているこの光景です』
どの神でもいい、自分を超えたものにすがる、祈りを捧げているという姿勢にすでに救いが含まれていると。
《つづく》
by panda-panda78 | 2006-04-08 02:29 | きみに読んで欲しい。