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○こちよ「最近あの人自分のこと「ぱんださん」って言われることに罪悪感があるらしいわよ」●ちよ「もうそんなに若くないんだからそういうかわいい呼ばれ方は微妙よね」


by panda-panda78

それから

となりのだれもいない部屋でこねこたちを5匹かっておりました
一匹は写真にも出てきたことがある茶色の子
他のこげ茶の4匹は倉庫のなかで生まれて、長い期間そこにいたからなのか最初からそうだったのか目にうっすら灰色の皮膜がかかったような子がいまして

茶色の子も含めて研究室で飼っていたのですが、一緒に研究室で働いている子たちがどうもきみがわるいということで部屋で飼っていたのです。
会社の人には茶色の子はみせれるのですが、灰色の皮膜がかかった子たちは見せられなかったのは僕の弱さというか、なんと表現したらいいのか。
「僕が大切に育てているんだから」とそれでいいのに。

僕が子供の頃におじいちゃんとおばあちゃんにウサギの飼育しているところに連れて行ってもらった時に写真を撮ると近くのウサギを手にとってといわれて手に取ったうさぎの目がちょっと傷ついていて。
「そのうさぎじゃなくて他のうさぎにしろわ」
と言われた時にすごく複雑な気持ちになったことを今でも覚えている。
祖母祖父というか、田舎、地方の考え方というか、祖父祖母がやさしくないというのではなくて、うまく言葉にできないけれども「田舎の人はそういうところがある」としかうまく表現できないけど。このうさぎでいいとは当時の僕ももちろんいうことはできなくて。

やさしさというのはただやさしいだけではだめでつぶされそうになったときには体を呈してでも反対する人と、弱いものや人を抱えて、そのものや人の分まで戦わなくてはならないということなんだなと。


それでも順調に育てていたわけなんだけれども、こげ茶たちの目やにがひどくて毎朝昼夜と目薬を差していたし、さしているのね。
そうしているうちに茶色までどうしてか目から涙が止まらなくなってしまってね。
ああこまったとタオルで拭いてタオルで拭いてなんだけれどもよくならなくて。
こげちゃの1匹かがおなかの調子が悪かったので正露丸をのませてなんとかとしていたのだけれども、そうこうしているうちに茶色もおなかをこわしてしまって。

茶色に病気がうつってしまうのではこれはこまったことと、迷ったけれどもこげ茶のおなかの痛い子をもう工場の外に捨ててしまおうとダンボールにいれました。
夜にそっと山にいこうと思っていたから、ダンボールを工場脇にふたをしめて置いておいたのです。
ちょうど太一選手が来ていたときだったので、その夜は会長社長が外のレストランを予約してくださったのでまた後でと思ったのです。

戻ってきたらダンボールのふたがあいていて
あらら、と思ったけどなかにいた2匹(当時まだ2匹だけだった)は逃げずにダンボールのところをうろうろして、目がみえないのに僕のことがわかって駆け寄ってきてね。

おれはね。自分だけおいしいもの食べて楽しんでね。この子たちのことは山に捨てようと。
捨てることを迷ったし、つらかったと感じたけど結局放棄しようとしたのだと。
ごめんなごめんな

料理屋さんで働いている時に料理長にきらわれてしまってね。それでも一生懸命にやろうと笑顔でいることも気に食わないみたいで。胸倉をつかまれたのは何度となくあったしね。
サッカー部もやれどもやれども人はこず、メンバーには後ろ指をさされ、目を合わせようとしてもそらされという時期と重なり、自分では死んだりはできないけれども、なんか偶然に死んじゃうんだったらそれは楽でいいかもしれないと。

それでも多くの人のなかで二人ばかりの人が声をかけ続けてくれたから今があるけど

この子たちはおれだ

と。

茶色は僕の部屋につれてきて、病気がこれ以上すすまないようにとがんばってみたのですが日に日に弱ってしまって、それでも僕をみればにゃーといって

僕の部屋で看病しているときにとことこと白猫のちくわぶや、トラのぽーろがへやにきて茶色をくんくんにおいを嗅ぎにきたり

動けなくなり、部屋で一匹最後を迎えさせるのはあまりに忍びなくそっと職場の机の下の箱に入れて一日一緒にいました

もうちょっと大きくなったらちくわぶとぽーろといつかは一緒にご飯を食べるようにしたいとおもっていたので部屋にいれたりしていたので、「さよなら」とちくわぶとぽーろに挨拶させ、こげ茶4匹(このときは4匹に増えていた)にも挨拶させ、ちよとホームズにも「工場をうろうろするときには車に気をつけるんだよ。もし怪我をしたり死んじゃったりしたら僕はこんなにかなしい」と話ました。

まだちょっと息があったけれども体は徐々に固くなりつつあり、みんなに挨拶したこともあってこれでいいと思えました。残酷といわれても仕方ないですが、僕がこれ以上耐えることができなかったので工場のこれから窯を作ろうとする付近に埋めました。

死に行くものと、看取るもの
死に行くものがもう回復はしない。看取るものにけじめがついたのならばそれでいいと思うことは看取るものの勝手なのかもしれませんが、すっかり軽くなってしまった、涙がとまらなくなってまぶたがゆるゆるになりかかっている茶色をもうみていられないかったのです。
そういう意味では僕は茶色を投げ出したのでしょう。
本当に回復せず、看取るものにけじめがつけばよしと心のそこからそう思うのならば、僕の手で息を止めてあげることが優しさだと心の隅では思うのですが弱い僕にはそれはできませんでした。

4匹のこげちゃも2匹目が今日死にました。

目が見えずに、すぐに死んでしまったこげちゃはいったい何のために生きてきたのでしょうか。
僕がその分生きれば、3匹がねこだけど犬死ではないとそう思っていいのかしら。

書く途中で恥ずかしながら何度もないてしまいました。
ショックな内容でもあり、公開することをどうしようかともおもいました。
この文章を読んで、生きるって悲しいこともあるねと、けど悲しいことが生きているってことだよねと感じてもらえたらなと。

児童文学の灰谷健次郎さんが都会から淡路島の島生活に移られ、飼っていた鶏に足を蹴られて長靴に血がたまるほどの怪我をしてしまったと。僕はいいけど他の人にやられてはたまらないとその鶏を殺して食ってしまった。けれどもあとでふとこれでよかったのか、僕の心に憎悪がなかったのかとふつふつと悩み、ひどく不機嫌となり、不安感にとらわれるという神経症の初期症状が出始めたそうな。
「私は、ひとは意識しないで無感動の時代を生きている、それが諸悪の根源だと書いたことがあるが、わたしの中に生じた小さな変化は、わたしをその暗闇から救い出してくれるひとつだということを、このごろは思うようになった。わたしは再びわたしのなかの人間を見つめはじめている」
以上灰谷健次郎さんの「いま、島で」より。

彼らの死は、一番そばにいた僕が抱えていかなくてはならないのですが、よくも悪くもこの文書を読んで感じてもらえる人がいれば、3匹も喜ぶのではないだろうかとおもっています。
by panda-panda78 | 2007-08-29 00:00 | きみに読んで欲しい。